縁起でもない話。
今日はちょっと思い切った話をしようと思う。
普段は避けて通りたいけど、どうしても人間一度はしなければならない話を思い切って書いてみよう。
それは「死んだらどうなる。」
死後の世界があって、霊魂は…とかそういう話ではない。
そういうことは霊界の広報マンである丹波先生にでもお任せしておけばよい。
そうじゃなくて、死んだら自分の亡骸はどうなるのか、についてである。
お葬式なんかは全国津々浦々いろんな風習があり、よく知らないので、これについてはここでは割愛し、火葬と埋葬について書こうと思う。
こないだ読んだ雑誌に、北海道長沼町での散骨の条例について書いてあった。
申し訳ないが詳しいことは忘れてしまった。
散骨を認めない条例だったと思ったな。
散骨専用の公園ができてその周りの地価が下がったとかで周りの地権者が何とかしてほしいと役場に訴えた…んだったかな。
そんなとこだったと思う。
ま、そりゃそうだ。
人間、生きているときは自分の体は誰のものでもなく自分のものだが、死んでしまったり、骨になってしまった場合には誰かの持ち物でなくてはならなくなる。
日本人の特性として、遺体やお骨をとても大事にする、ということがある。
そのために「死体遺棄罪」という罰則が定められている。
これは、遺体を捨てることだけでなく、遺骨を捨てたり、遺体や遺骨を盗んではいけないとも定めている。
遺骨を盗まれて処罰する法律がないんじゃ困るもんね。
ちなみに、火葬場で骨上げをした後、当然掃除するよね。
次の人が骨上げできるようにきれいにする。
当然ここで掃除したものの中には骨が粉末状になったものもある。
もちろんこれも捨てるわけだが、これが死体遺棄罪にあたる、という見方もあるのだそうだ。
いやぁ難しい。
日本人なら「当たり前じゃないか!」というだろうが、これが世界を見回すとそうでもないらしい。
「死んだら土に還る」という考え方の国の方が多いようだ。
それに、火葬したときに骨の形を残して焼き上げるというのも「骨上げ」という独自の文化がある日本に限ってのことであって、たとえばアメリカなんかは骨の形なんて全然気にしないで焼いているそうだ。
特にニューヨーク州では「焼き上がった骨が形を残していてはいけない」という法律があって、それこそ粉や炭になるまで焼いているそうだ。
それで、微妙なのが散骨だ。
散骨は下手をすれば死体遺棄罪になりかねない。
その本には「たとえば自宅の庭に埋葬する場合などは、きちんとそこに埋葬してあるとわかるようなやり方であれば死体遺棄罪にはあたらないが、ぞんざいな埋葬の仕方をすれば死体遺棄罪に問われる可能性がある。」としている。
難しいよね~。
何がぞんざいで何がきちんとかはその人によって違うもんね。
海に骨を撒くなんてとんでもない!っていう人がいてもおかしくない。
しかも「撒く」が人によっては「捨てる」とみなす人もいるかもしれない。
散骨って難しいなぁ。
だからうちの母親が言うように「私が死んだら骨を植木鉢に入れて近くに置いといてほしい」なんつーのは、下手すりゃ犯罪なわけだ。おばあちゃんの木とか、おばあちゃんの花なんて咲いたら困っちゃう。
母親そっくりの花が咲いたりして…。
ホラーだなぁ、それ。
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コメント
うちに『死の歴史』という本があります。
大昔にそんなような事に興味を持ったので
その時に買ってみました。
今手元にありますが、
内容はまったく覚えてません。
世界での、というか主に西洋での
死の捕らえ方が書いてある本です。
投稿: 拓哉 | 2006年3月17日 (金) 18:17
こんばんは。
15日に父親が他界しました。
私も同じように持病がありますが、死について
は、色々考えるときが有ります。それを元(?!)に
今をどう生きていこうか?なんて考えたりします。
ずっと昔は自殺も考えた時期もあり
ました。
あっ!変なコメントしてしまった。
スミマセン。
投稿: eimeis | 2006年3月17日 (金) 21:33
拓哉くん。
死について考えると宗教がかっちゃうけど、亡骸をどうするかってのは考えたことがなかったので興味深く読みました。
eimeisさん。
そうですか。
おつらかったですね。
お悔やみ申し上げます。
自殺っていうのは誰もが一度は考えちゃうんじゃないでしょうか?
でも、自分の命は自分だけのものではない、と考えればそんなことは考えないはずですね。
でも、そんなことが考えられないほど追い詰められているから自殺を考えちゃうんでしょう。
…なにを言ってるんだかわけがわかんなくなってきました(爆)。
生きてるって当たり前のことに飽きちゃわないように楽しいことを探し続ける毎日です。
投稿: くうみん@管理人 | 2006年3月19日 (日) 16:51