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2006年7月15日 (土)

平和への祈りを。

永井隆記念館を出たあと、平和公園へ向かった。
実は、前々から7万人も亡くなる様な爆弾が落ちたのなら無縁仏はいなかったんだろうか、ということが気になっていた。
一家全滅、ということだってあったろう。
私の想像通り、無縁仏は存在していてその数はなんと8000柱を上回るそうである。
それが、ここに祀られていた。
ここにはたくさんの外国人、特に韓国、朝鮮人が含まれていることを忘れてはいけない。
Kinendo
そのあと、平和公園へ。
大変有名なこの像は、国籍等を限定しない、いろんな民族として見ることができる折衷的な作り方をしているんだそうだ。
Heiwazo
そして、また爆心地を通って原爆資料館に向かった。
Genbakushiryokan
広島の原爆資料館にも行ったことがあるが、ここでも目を背けたくなるような光景が再現されていた。
ここで目立ったのは、外国人が非常に多いこと。
アメリカ人や中国人、韓国人が多かった。
その中でも若い人が多かった。
彼らの目にこの資料館はどう映るのだろう。
様子を見る限りではテーマパークのような感じで見ているようだ。
日本人と同じようにここで見たものを感じろ、って言ってもそれはどだい無理な話だと思う。
日本人がハワイで真珠湾攻撃の資料館を見たって、アメリカ人と同じ様に感じることはできないだろう。
実際、館内にあったノートを見てみると「ここキツすぎ。気持ち悪くなった。」(アメリカ人)、「日本人は自業自得だ」(中国語)、「日本が軍国主義にならなければ無事だったはずだ」(中国語)などと書かれていた。

日本人はアジアで相変わらず嫌われているようだ。
ここ長崎でも強制連行されてきたアジア人が多数犠牲になっている。
いまだに後遺症に苦しむ人もたくさんいる。
当然のことながらこの人たちは原爆症の認定も受けられない。
こないだ、北朝鮮がテポドンを撃ったけど、制裁決議案は中国にも韓国にも反対されたよね?
これって、日本より北朝鮮の味方しようってことなんだよ。
ホントにそう思う。
嫌われてるんだよな。

物事にはいろいろな見方があり、それは世界によっても民族によっても違う。
私は日本人だからそうは思わないし、そう思いたくもないけれど「原爆投下によって戦争を終わらせることができた。」と言う人がいる。
それは、その人の考え方だし、そういう見方があっても仕方ない思う。
でも、ここを見て「原爆や核兵器だけはなにがあろうとも絶対に使ってはいけないんだ」っていうこと、そのことだけは分かって欲しいと強く思った。
ひとつの爆弾で7万人もの命を一瞬にして奪う悪魔を私は他に知らない。

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