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2006年10月 7日 (土)

おばあちゃんの夢。

私はそりゃあ大変なおばあちゃん子だった。
「おばあちゃん子世田谷大会」があったら間違いなく優勝していたはずだ。
初めての孫であり、しかも娘の孫だったためおばあちゃんも本当にかわいがってくれた。
子どもの時から世話になりっぱなしだった私は、せめてもの恩返しとおばあちゃんのためにできることはなるべくした。
その後一緒に住むようになってからは、気付いたところに関してはできるだけいろいろとやったつもり。
でも、未だにおばあちゃんに受けた恩を少しでも返せたんだろうか、と自問自答しているけどね。

そんなおばあちゃんが天国に行ったのがおよそ3年前。
亡くなったときには悲しくて、生まれてからそれまでの人生の中で一番泣いたけど、あんまり泣いててもおばあちゃんも喜ばないだろうし、そのうち夢にでも出てきてくれるだろうと思って気を取り直すことにした。

ところが、おばあちゃん全然夢に出てきてくれないんだな、これが。
最初に夢に見たのは亡くなってから半年後だった。
おばあちゃんにしてみれば「いろいろ忙しくってね、アンタのところまで手が回んないんだよ!」っていつもどおりのチャキチャキの口調で言っているんだろうね。
顔が見えるようだ。
たぶん、私よりも困っている人のところに行って相変わらず世話を焼いているんじゃないかな。
今のところ私もおばあちゃんにすがるほど困っていることはないから、わざわざ来てもらうのも悪いし。

それ以来一度もおばあちゃんが夢に出てきたことはなかったんだけど、先日久しぶりにおばあちゃんの夢を見た。
それは、おばあちゃんと姪っ子のあーちゃんが顔を合わせているところで、私が泣きながら「よかったねぇ、よかったねえ」と二人の手を握り締めているシーンだった。
私の姪っ子なんだから、おばあちゃんにとってはひ孫だ。
よくわかんない人は家計図でも書くとわかると思うけど強制はしない。
実際、おばあちゃんが8月に亡くなってあーちゃんは翌年の1月に産まれているのでこの二人が顔を合わせたことはない。
私だっておばあちゃんにひ孫を見せてあげたいと思ったけど、それはムリ。
歴史に「たられば」や「もし」は禁物だ。
私たちだって歴史の中に生きている。
でも、夢の中ででも会わせてあげられてよかったと思う。

夢の中で泣いていた私は現実でも泣いていたらしく、自分の声で目が覚めた。
なんだか切ない夢だったな。
最近、よくこういう「亡くなった人が出てくるような映画」をやってるけどこれは映画の世界だけでいいね。
現実にあったら押しつぶされちゃうもの。
いつかまた現れると思ったらそればっかりを願って、他のことが手につかなくなるもの。
私の場合はね。
世の中にはどうしてもどうにもならないことがあっていいんだ、って思った夢だった。
まあ、忙しいとは思うけどまた遊びに来てよ、おばあちゃん。
寝てる間はヒマにしてるから。
…こんな言い方したら「アンタ、ずいぶん偉くなったね!」なんて言われちゃうかな?

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