なつかしのポスタルガイド。
女房が実家から「絶対とうちゃんが喜ぶよ」と言いながら何かを持って帰ってきた。
それはぽすたるガイド。
要するに郵便番号簿だ。
発行は平成元年となっている。
私もこの表紙には見覚えがある。
平成になったのは最近だと思ってたんだけどなぁ。
もう20年も前のものなのか。
中を開いてみるとこの通り。
郵便番号は3ケタもしくは5ケタである。
大変シンプルでよろしい。
昔からこういうのを見るのが大好きで、東京都多摩地区については郵便番号を全部覚えていた。
7桁になった今では不可能だけど。
それに平成の大合併前のものなので懐かしい地名がたくさん並んでいる。
よく見ると、武蔵村山市の郵便番号がまだ「190-12」になっている。
当時、東京の市部に5桁があるのはここだけだったと思う。
当時、武蔵村山にオジが住んでいたのでよく覚えている。
昔から郵便番号っていうのは結構変更になっている。
特に東京において200番台っていうのは新しいはずだ。
列挙してみるとこんな感じ。
201=狛江市(以前は調布局が集配担当だったため182だった。狛江郵便局ができて201になった。)
202=旧保谷市(現在の西東京市保谷地区。以前は田無局【現在の西東京郵便局】が集配担当だったため188だった。保谷郵便局【現在の西東京郵便局保谷分室】ができて202になった。)
203=東久留米市(以前は180-03。)
204=清瀬市(以前は180-04。)
205=羽村市(以前は190-12。)
206=多摩市・稲城市(以前は190-02。)
207=東大和市(以前は東村山局が集配担当だったため189だった。)
208=武蔵村山市(以前は190-12。)
もちろん、今は郵便番号が7ケタになっているので、そのうちの上3ケタだ。
前出の武蔵村山市は現在「207」になっている。
202の旧保谷市が以前188だったのはよく覚えている。
父親の実家が旧保谷市で自宅が旧田無市だったため同じ188だったからだ。
同じ理由で家から近かった東久留米市の5ケタも覚えている。
ちなみに201と202の説明には自分が覚えているので自信があるが、207は自信がない。
ダメじゃん。
それ以外はわかんないなぁ。
わかんないぞ、東大和市。
未だに集配局はないのよね。
どうなってんだろ?
どこのサイト見ても載ってない。
東大和市のHPに「郵便物のお問い合わせ」とかっていうコーナーがあってもいいのに。
そう思ったら気になっちゃって気になっちゃって。
見に行っちゃいましたよ、東大和まで。
ダイヤモンドシティミューに行ったついでだったんだけどね。
あ、ポスト発見!
さぁ、やっと謎が解けるぞ!
さてと、集配局はと…。
おお!
武蔵村山郵便局かぁ。
そうだったのか。
東大和市は武蔵村山郵便局の管轄なのね。
というか207は武蔵村山郵便局の受け持ちなのね。
でも、武蔵村山郵便局ができるまではどうしてたのかね?
それにしても、やっと謎が解けましたわ。
しかし、わざわざ見に行くなんて…。
こんな自分が大好き♪
で、変更になった事情ですけどね。
たぶん…たぶんですよ。
東久留米や清瀬など、5ケタから3ケタに変わったところは集配を始めた時に郵便番号が変わったんじゃないかなぁ?
だって、東久留米郵便局とか清瀬郵便局って昔からあったもん。
一方、狛江郵便局や保谷郵便局ってのはなかったから、新しくできたところにも郵便番号が振られたのかな。
それまでは180の武蔵野郵便局や190の立川郵便局が集配してたんじゃないかと。
ちなみに209ってのはないんですが、これは多摩地区の郵便をいったん引き受けて局ごとの小分けを担当する「東京多摩郵便局」の郵便番号だそうです。
しかし、女房が「喜びそうだ」と思ったのは大正解。
だって、これ見ただけでこんなにいっぱい考えられるんだもん。
しばらくいい暇つぶしが出来そうである。
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