ゆうべのこと。
ふと以前に友人の嵐パパが「二子橋を渡って多摩川べりの世田谷側を上って行ったら川崎側に帰れなくなった」というのを思い出しました。
確かに嵐パパのいうとおりで、二子玉川に架かる二子橋の上流側の次の橋は登戸に架かる多摩水道橋なのでかなりの距離があるはずです。
ふむ、よっしゃ、そんじゃ一丁同じことをやってみっか、と思い立ち自宅のある三軒茶屋から歩き始めました。
最初は国道246号線をひたすら西に進みました。
環八通りと交わる瀬田の交差点から少し先で、新道である「新二子橋」と、二子玉川駅方面に下っていく旧道に道が分かれます。
新二子橋は車両以外進入禁止なので当然旧道に進みます。
やがて二子玉川駅の前を通り過ぎ二子橋を渡ります。
ここからは神奈川県に入ります。
そこからは旧大山街道に入り、すぐにある二子新地の駅でトイレに行きたくなったのでチョット休憩。
小用も終わってスッキリしたところで、「旧大山街道は旧国道246号線なワケだけど新道にはどこで合流するのかな?」と湧かなくてもどうでもいい素朴な疑問が湧いてきました。
でも、思いついちゃったら確認せずにはいられない性格です。
そこで二子新地駅を出発し再び西に歩き始めました。
やがて、次の高津駅を過ぎ、JR南武線と交わる溝の口駅も過ぎましたがいっこうに合流する気配がありません。
「このまま大山まで着いちゃったらどうしよう…」、と絶対に有り得ないいらぬ心配をしつつも、大山街道は溝の口駅を過ぎたあたりから、なんだかあさっての方向に伸びていきます。
この先ホントに合流するのかよくわかりません。
…って旧道なんだからいつかどこかで合流するに決まってるんですけどね。
そんなことを思いながら真っ暗な道を歩いていきます。
途中でヒマそうにしている姉ちゃんと行き違ったので声でもかけようかと思いましたが、現在金髪でリフレクター運動実施中で、革のコートを着てパーカーのフードをかぶっている私は不審者度100%で確実に通報されるに違いないのでやめときました。
歩き続けていると、右の方に新道らしき道路が見えます。
…見えるんですけどいっこうに合流しそうな雰囲気を見せません。
「このまま並行したまま進んでいって大山まで着いちゃったらどうしよう…」とまたしてもいらぬ心配をしながら、そんなこんなで歩き続けて行くと、ようやく新道への合流点に着きました。
こうゆうのは「歩いたこと」よりも「合流点を自分の足で確認できた」ということに満足感があるもんですね。
ちなみに合流点は、「梶が谷」交差点の少し東寄り。
旧道はそのまま新道とクロスして宮前区役所や宮前平駅に達し、その先の馬絹で再び新道と合流するようです。
合流点を確認できただけでも満足だったのでそこから新道を折り返して帰ることにしました。
都県境の多摩川にさしかかるあたりで、「そういえば嵐パパが登戸まで歩いたって言ってたよな、だから歩いてきたんだっけ」と、またよけいなことを思い出しちゃいました。
それじゃあ同じルートを歩いて登戸まで行ってみよう。
そこからは世田谷通りを歩いて帰ればいいや、って我ながら無謀な思いつきでそれを実行してみることにしました。
多摩川沿いの川崎側の多摩沿線道路を北に曲がり多摩川を上る方向に歩いて行きました。
標識には「登戸5キロ」とあります。
大したことはないかも…。
しかし、ここは川っぺり。
あたりは真っ暗です。
河川敷はなんだか不気味で、闇取引なんかやっててもわかんない雰囲気だったけど、そんなものは横浜の第3倉庫あたりでやってるわけでわざわざ二子くんだりまで来てやってるわけがありません。
「あぶない刑事」でもそう言っています。
ほかに、いかがわしいことをしている不健全な若者がいるかと思って目を凝らしてみました。
ま、そういうことをするのは若者とは限りませんけどね。
しかししかし、気温は0度近い上に多摩川から強烈な川風が吹いて来て、実際それどころじゃありません。
たぶん。
それでも河原でイチャイチャしている若者はいて、「このクソ寒いのにようやるわい、…にいちゃん、腰パンの背中からチェックのトランクスが見えてんぜ、オイ」などと思いながら通り過ぎました。
でも自分だって若いときは同じようなことしてたかもしれないよなぁ、「若者笑うなわれ来た道」だよなぁ、なんてどうでもいいことが次から次へと頭をよぎります。
でも、そうしないともう寒くてやってられないのです。
ロシア人がウォッカに走っちゃう気持ちがちょっとわかったような気がしました。
そこから眼前はるかに多摩川を渡る東名高速が見えます。
まずはあそこが目標点にしよう。
そうは思ったもののなかなか近づいてきません。
それでもなんとか歩いて、やっとこさ東名高速を通り越した時は「頼むから登戸までの距離の半分は行っててくれよなぁ、オイ」と思いました。
しかし。
しかしなのです。
ここが東名高速ということは対岸の世田谷側はまだ用賀ってことです。
東京インターは用賀にありますから当然です。
ま、ココロ優しく見積もっても東名が多摩川を渡るのは喜多見か宇奈根のあたり。
つまり、対岸はまだ狛江市には入っていないのです。
小田急線は世田谷区の喜多見から狛江市を通って登戸に至ります。
ということは、私の歩く距離は狛江市分まるまるひとつ残っているわけです。
狛江市は東京都で一番小さなしですが、それだってそれなりの距離はあるわけです。
わぁお。(←たむらけんじ風に。しかも冬の夜の誰もいない多摩川の河川敷で。)
とりあえず次の目標は小田急線の鉄橋です。
そこから世田谷通りを右に曲がれば三軒茶屋に着きます。
しかし…その小田急線の鉄橋がなかなか見えません。
と、ここで、「高速道路は車が走るから街路灯が点いてて明るくて目立つけど電車の鉄橋は明るい必要がないから目立たないんだ」という当たり前のことに気づきました。
なぁんだ、じゃあ登戸は近いけど見えないだけかぁ…。
早く言ってよ~。
そう安心したのもつかの間、はるか遠ぉくに光の列が動いてるのが見えました。
それは電車でした。
…小田急線です。
あれが小田急線です。
その電車がその先の京王相模原線であることも考えましたが、いくらなんでもここから見えるはずもありません。
まだ登戸まであんなにあんのかよ~!
ここでアクシデントが。
なにを血迷ったか、お出かけ用の革靴を履いてきてしまったので足の裏やら指やらが痛くてたまりません。
しかも膝やらケツやらまで痛くなってきました。
運動不足じゃのう。
おぉのぉ!
それでも歩き続けて川崎市立稲田中学校まで来ました。
そこの道路標識を見ると「直進、稲城・登戸」の文字が…!
登戸はまだ道路標識に登場しちゃうほど遠いのですね…。
が~ん。
それからしばらく歩くとやっとこさ小田急線の側面幕に「急行」と書いてあるのがわかるくらいのところまで来ました。
登戸はもうすぐです。
この先世田谷通りを歩いて帰るつもりでした。
でも「つもり」は「つもり」。
このコンディションじゃちょっと無理そうだし、歩き始めて「あー、やっぱ電車に乗りたい!」と後悔してももうすぐ電車がなくなってしまう時刻なので、そこからは大人しく小田急線と世田谷線で帰ってきました。
いやぁ、登戸って遠いねぇ。
わずか二子新地から5キロとは思えないくらい遠かったです。
川沿いに目立つ建物がないからかなかもしれません。
記憶に残っているのはベビー用品の「西松屋」くらいです。
しかも、もう閉店してて真っ暗だったし。
もうね、歩いてみて「クルマってエラいなぁ」と思いましたよ。
だっていつもならこの辺りはクルマで「ピュ~ン」ですから。
今日は足が痛くて動けないだろうと思いましたがけっこう普通です。
そんじゃあ昨日の痛いのはなんだったのよ、と思ったんですがこれから痛くなってくるのかも分かりません。筋肉痛が一日半遅れてやってくる悲しき30代半ばかな、と。
なんでそんな寒い夜に出かけたのかって?
…ゆうべね、女房と一悶着あったんですよ。
うちにだってそうゆうことはあります。
男には孤独な時間もあっていい、な~んちって。
でも、なんかそんな感じですわい。
ちなみに先ほど気が向いたので昨日歩いた距離をマピオンのキョリ測で測ってみたら17キロでした。
しかも、先ほどから筋肉痛が…。
イタタタ…。
こんだけ歩きゃそりゃあ、筋肉痛にもなるわい。
やれやれ。
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