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2010年1月18日 (月)

阪神・淡路大震災の思い出。

日付が変わりましたが、昨日1月17日は女房の父親の誕生日でした。
私はしっかり覚えていたので女房に、オヤジさんにメールした?としつこく聞きました。
もちろん送ったそうですが、覚えていた私はエラい。

ちなみに1月17日といえば湾岸戦争が始まった日だそうです。
そして、みなさんご存じの阪神・淡路大震災の発生した日。
なかなかパンチの強い日です。

阪神・淡路大震災は発生してから今年で15年だそうです。
私が35歳なので、地震の当時は20歳だったということになります。
…若い。
去年は、神戸にも行ったので今年の1月17日は特別な思いで迎えました。

あの日の出来事は15年たった今でもハッキリ覚えています。
私は当時すでに働いていて一人暮らしをしていたのですが、翌日早起きしなければいけなかったため前日は実家に泊まっていました。
そして、あの5時46分。
実は東京も揺れたのです。
その揺れで目を覚ました私。
大きかったねぇ…なんて言いながら、しばらくして朝ごはんのときにテレビを見てみるとNHKの地図の表示があり、そこには「神戸震度6」の表示が。
震度6?
今までの人生でそんな表示見たことがありません。

当日は外回りの仕事で、たまたま通りかかった新宿で号外を配っていました。
その号外に掲載されていた写真こそ、あの有名な「高速道路横倒し」の写真だったのです。
あまりの衝撃に言葉を失いました。
なんだ、これは?
まるで映画のセットじゃないか。

これは何の風景だ。
水に映った街の風景なのか。
ならばおさまってくれ、水の波紋よ。
当時、こう詩に詠んだ人がいたそうですが、まさにそんな感じの写真でした。

去年、神戸に行ったときに阪神高速を使って神戸に入ったのですが、私が通った高速道路が、まさに「横倒し」になった高速道路だったということに気付きました。
神戸の街は15年が経過し、かなり復興したように見えましたが、それでもまだ立ち直れない人、人生の変わってしまった人など多くの人に未だ震災の爪痕が残っているようです。

神戸では、ルミナリエにも行ってきました。
「行ってきた」というよりも「参加してきた」という言い方の方が私の気持ちにはぴったりと当てはまっている気がしました。

残念ですが、地震を止めることはできません。
地球が活きている限りそれは不可能です。
でも、地震に対する備えはできるはずです。
阪神・淡路大震災を過去の出来事で片付けるのは簡単です。
しかし、災害というものはこれからいつなん時起こるか分からない現在進行形の出来事なのです。
ハイチの地震でも多くの犠牲者が出ているようです。
なので、あえて結論付けることはしませんが1月17日はそれぞれが色々なことを考えてみる日なのではないかと思います。

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