201系、ヘッドマークつきで出発進行!
先月は東京でもやたらと雪が降りましたよね。
そんな雪のある日、女房からメールが来ました。
201系のかわいいヘッドマーク。
撮るタイミングを逃してダメな写真になっちまった。
久しぶりに先頭に乗ったけど、朝の雪でワイパーをギコギコ必死に動かしてる201系がカワイかったぜ!
なぜか新宿0807発の高尾行きが201系率が高いんだよ。
山手線から乗り換えて階段上がるとホームの端に人が2~3人カメラ持って構えてるから、201系が来るなってわかるんだけど、通勤途中なオイラは撮るヒマねぇし。
今日はまさかマーク付いてるとは思わなかったからなー。
失敗したー。
…だそうです。
このヘッドマークは201系就役30年を記念しての物だそうです。
そっか。
私が子どもの頃はまだエビ茶色の省線電車が走って…ないない。
中央線は103系のイメージが強いので201系が登場してから30年くらいは経つのかもしれません。
…経ってるんだってば。
そういえば、こないだテレビ東京の「空から日本を見てみよう」で中央線の特集をやってました。
中野から立川まではひたすらまっすぐで日本一長い直線区間なんですよね。
それと中央線はかつては私鉄で「甲武鉄道」と呼ばれていました。
それを見ていた女房と女房の母親が「へぇ、そうなの!」って。
中央線はかつての甲武鉄道が集客力の見込める甲州街道沿いに開通させるつもりでいたら、府中の宿場に「蚕に食わせる桑の木が枯れる」「ワラジが売れなくなる」「よそ者がやってきて変な病気が流行る」と大反対を受け、そんじゃあ今度は青梅街道沿いに敷こうとしたら田無の宿場に同じ様に反対されて、そんじゃしかたねぇ、ってんでなんにもない武蔵野の野っ原にまっすぐに線路を敷いた、ってゆうのは有名な話でだと思ったんだけどねぇ。
多摩の子どもたちには常識よ。
学校で習うもん。
ちなみに私は田無の出身だけどちゃんと学校で教えてくれます。
田無の敗北の歴史です。
けっこう多摩の人しか知らないことってあるのよね。
玉川上水とかそれを作った玉川兄弟なんて全国レベルだと思ってたもん。
女房が知らないって言ったときショックだったもん。
あ、そうそう。
中央線の話ね。
そしたら友人の半ちゃんからたまたまキレイに撮れた写真が2枚送られてきました。
車両によってハートの色が違うんですね。
他にも違う色があるのかしら?
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