リセットボタンをポチッとな。
当たり前だけど、人には性格というモノがあり、それは人それぞれに違うものだ。
これを「個性」といい、そのバラつきを「千差万別」という。
でも「二者択一」という言葉もある。
細かく分ければキリがないけど、とりあえず2つには分けられる、というのもまた事実である。
要は「そうゆう人」と「そうでない人」ってことである。
それは「片付ける」という行動にも表れる。
「散らかるのがイヤなので少しでも片したい人」と「思いっきり散らかったのを一気に片したい人」。
私は明らかに後者である。
思いっきり散らかったのを片したくなると夜中でも、それこそベッドの下まで片したくなる。
時間が60分あったら、59分は片付ける計画を練り、残りの1分で一気に片したい。
そんな感じである。
なのでドミノ倒しなんかは見ていて胸がスカッとする。
壊すためにわざわざあんなに時間をかけて物事を完成させるというのが気持ちいい。
だから、夏休みの宿題は8月31日まで残る。
こちらは計画通りには片付かない。
世の中とゆうものはそうゆうモンである。
だから人によっては私の部屋は散らかっているように見えるらしい。
私としては、最小半径の中に効率よくすべてに手が届くベストな位置に配置されていると思うのだが、人によっては違うらしい。
一番わかりやすいのは女房だ。
この人は使ったモノはすぐに元の位置に戻す優等生。
いいじゃん。
細かくやっても貯めても片付けにかかる時間は一緒だ。
片付けに取り組むまでの時間が長いか短いか、だ。
究極に散らかして究極に片付ける。
リセットして新しい気分になるのが好きなのかな。
でも、あんまり散らかっていると片付ける気力もなくなる。
…ありゃりゃ、ダメじゃん。
とはいえ、結婚してからは「私の部屋」とゆうのは存在せず、そこは「夫婦の部屋」であり、私と女房の言い分を客観的に比較すると、そりゃあ誰が見たって女房に軍配が上がる。
なので、なるべく出したモノはすぐにしまうようにしている…つもり。
それじゃあ、この記事はなんだったのかとかゆうと、要は「無精者の長い言い訳」であるのです。
「そんなことを考えるヒマがあったら片付けなさい。」
35歳になっても親にも女房にも言われている。
的確すぎて反論の余地もないので従うとしよう。
余談だけど、「片す」という言葉が変換できない。
これってヘンな言い方なのかな?
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コメント
くうみんさん。
「片す」ってうちらの地方の方言みたいです。
うちの嫁は相模原育ちですが、通じませんでした。
ちなみに私は「歩いて」を「あるって」と良く言いますが、これも変換できません…。
投稿: シュウ | 2010年4月 7日 (水) 21:39
シュウさん。
あらら、方言だったんですか?
「片す」って普通に使いますよね?
「歩って」も普通に使いますよね。
「歩って来た」、「まっすぐ向こうに歩ってったよ」…。
うん、普通ですね。
それどころか、私は「まっすぐ」が「まっつぐ」に、「向こう」が「もこう」になることがあります。
「まっつぐもこうに歩ってったよ」。
…普通です。
東京にも方言てあるんですね。
ちなみに女房の田舎の信州では「散らかす」ことを「散らける」と言います。
投稿: くうみん@管理人 | 2010年4月 8日 (木) 12:37