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2011年12月 4日 (日)

人の心をとらえる方法。

先日、人の士気を保つのは案外と大変なんだな、と思ったことがありました。
取引先がちょっとしたミスを犯して、仕事がコケたのです。
幸いリカバリーもうまく行き、損害等はなかったのですが、それはそれ。
ミスをしたことには変わりはありません。

正直、私は大事なかったのだからいいじゃないの、と思っていたのですが、フォローに回ったうちの社員たちは明らかに頭に来ています。
なので、私はあえて「これじゃ困るよ!」と電話で怒鳴りつけました。
ま、なんとゆうか…演技半分のところもありました。

もしも、ここで私が怒鳴らなかったら。
うちの社員は、「あの人はことの重大さがわかっていない」、「あの人がフォローに回ったんじゃないからね」、「あの人は私たちの苦労をわかってくれてない」となるでしょう。
信頼関係もそうですが、何よりも士気が下がります。
あの人と一緒には働けない、となるかもしれません。
人心掌握術、とまでは言いませんが、和というか士気というかそうものを保つのはちょっとした心遣いも必要なんですね。

こうゆうことって夫婦なんかにも当てはまりますよね。
特に子育てなんか意見が食い違うこともあるじゃないですか。
例えばですよ、子どもが万引きかなんかしたとする。
こうゆう時にビシッと怒るのは父親の役目だと、私は思ったりするのですが、もしあなたが母親で、父親がろくすっぽ怒らないで無罪放免にしたらどう思います?
なんで?って思うでしょ?
普通怒るでしょ?って思うでしょ?
さらに、こんな人とは一緒に子育てできない、になって果ては、一緒に暮らせない、なるでしょう。
ウソでも怒っておけば、「あのときのお父さんの怒り方はハンパじゃなかったね。止めるのに必死だったもん」とかなれば、あとあとも丸く収まるんですよ。
これが、考え方の違い、とか、子育ての違い、とかになってくるんですよね。
結局夫婦関係の危機にもつながってくる、と。

あと、これとよく似た状況がよくあるのがプロ野球ですね。
なにかおかしなプレーがあると、監督がすっ飛んでって審判に抗議しますよね。
あれだって、士気を考えれば、っていう側面があると思います。
ここで監督が出てきてくれないと、選手は「監督はなにしてんの?」ってなるからです。
抗議が行き過ぎて退場になる監督もいます。
有名なのはカネやんこと金田正一。
でも、モノの資料によるとカネやんは非常に気の利く人物で、審判に前もって「これから怒鳴るけど黙って聞いててくれ。適当な頃合いで戻るから」と前置きしてから怒鳴ることも多かったそうです。
カネやんの人柄についてはともかく、この前置きして、とゆう心情はよくわかります。
選手の士気を高めるにはなかなかの方法です。
怒鳴られる審判や、待たされる相手チームはたまったものではありませんが。

ただ、怒るだけが人を育てる、とか人心掌握につながるわけではありません。
戦国時代の豊後に立花道雪とゆう人がいました。
自分にも他人にも厳しい人だったそうです。
しかし、のべつ幕なしところ構わずミスを攻め立てるような人ではなかったそうです。
例えばこんな話を聞いたことがあります。
自分のところに来客があり、部下が接客をしたのですが粗相を働いてしまったのです。
しかし道雪は怒るどころか、逆に来客に「この者はこうゆうところは苦手ですが、槍に関しては右に出るもののない使い手で、この間の戦の時にはこのような活躍を…」と自慢をしたそうです。
どうです?
こんな上司がいたら惚れちゃうでしょ?
この人のために働きたい、この人のためなら命を張って仕事ができる、って思うんじゃないでしょうか。

余談ですが、この立花道雪、別名を戸次鑑連といいます。
なんて読むかわかります?
正解は「べっき あきつら」。
私の中ではかなり難読の人物であります。

話を戻して。
ミスってコケるのはハッキリ言って「ピンチ」です。
でも、このピンチも捕らえようによっては、社員の結束をさらに高め、社員の士気を高めることもできるのです。
使い古された感のある言葉ですが、「ピンチをチャンスに」変えることができるのです。
でも、やっぱりそこで必要になってくるのは硬軟自在の心遣いなんだよなぁ、としみじみと感じました。
まだまだ勉強ですね。

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