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2012年2月10日 (金)

小田急相模原の話。

今日のSakuSakuの歌のコーナーは、「小田急相模原の歌」でした。
相模原。
このブログによく来てくださっているシュウさんの地元ネタですね。
喜んでいただけるでしょうか?

小田急相模原は地元では「オダサガ」と呼ばれていて乗降客も多い駅です 。
うちの会社の人間にも何人か住んでいる人間がいます。

小田急線の中で駅名に「小田急」と付くのは珍しく、ここと「小田急多摩センター」と「小田急永山」のみです。
あとの2つが京王線と同じ駅舎のためライバル意識で会社名を冠しているのとは違い、小田急相模原はJR横浜線に相模原駅があるためこの駅名になっています。
もっとも、小田急相模原駅の方が開業は古く、当時の国鉄に相模原駅ができた際に名前を譲って、自分は小田急の名前を冠した経緯があります。
今ならJR側が「新相模原」とか付けるんでしょうけど、当時は親方日の丸が強力だったのか、小田急が自社名を強調するためにつけたのかはわかりませんが。

歌の中でも出てきましたが、オダサガは急行電車の通過駅です。
政令指定都市の自分の市名である「相模原」を名乗っているにも関わらず急行が停まらないのは、隣に相模大野とゆう強力な駅があるからです。
市名を名乗っているのに急行が通過する駅は、小田急線ではほかに狛江駅や座間駅が挙げられます。
町名まで入れれば開成駅もそうですね。

また、反対の隣には相武台前駅があり、ここはかつて急行の一部が停車していた影響からか、この上オダサガにまで急行を止めたら3駅連続停車で東急もビックリって状況になっちゃうからでしょうね。
あ、違うわ。
町田も急行が停まるから4駅連続停車になっちゃうんだわ。

急行の停車駅を決めるのって難しいですよね。
乗降客が多いだけでは決められないみたいですね。
同じ小田急の中でも、江の島線の東林間も同じような事情だそうです。
ここも急行を停めると4駅連続停車になっちゃう。
わかりやすいのは西武池袋線で、急行が停まるのはひばりが丘ですが、その近隣の清瀬や秋津の方が乗降人数は多いですし、さらに多い大泉学園にも急行は停まりません。
ここは千鳥式停車でしのいでいますけどね。
なので、乗降人数だけで決めるとエラいことになる、と。
やっぱりバランスが大事なんだろうなぁ。

ところで、小田急には新百合ケ丘から分岐して多摩ニュータウンへ向かう多摩線があります。
現在は唐木田駅が終点ですが、将来的には延伸して、JR相模原駅に達する予定とされています。
こうなったときにホントに駅名ってどうするんですかね?
オダサガを改名するのは現実的でないような気がします。
となると、相模原駅と同居する多摩線の駅名をそれこそ「新相模原」か何かにするんでしょうか?
JRと同じ駅なのに駅名が違う例は東武なんかに行けばいくらでもありますからね。
あ、じゃあ「新小田急相模原」とかってのはどうですか???
ダメですね、当然ですね。

しかし、多摩線が伸びるのっていつなんでしょうね?
私が高校生ぐらいから相模原に伸びるってウワサがありましたから、あれから20年以上経ってるワケですが。
私が生きてるうちに果たして伸びるんでしょうかね?

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コメント

くうみんさん
ご指名ありがとうございます(笑)
シュウです。
小田急多摩線ですか。
まず、あの米軍補給廠の問題が片付いてからになるんでしょうね。
あのバカ広い土地が何とかならないと相模原は発展しませんよ、ほんと。
われらが地元、ひばりが丘駅は、私が子どもの頃に将来急行駅ではなくなるといわれてましたね。
そもそもいつから急行駅になったんでしょう?
ひばりが丘団地建設時?それとも田無町駅時代(中島航空金属があったから)からなんですかね?
余談ですが、戦後まもなく井の頭線が吉祥寺~東久留米間延伸を検討していたとか。
ひばりが丘団地を経由し(新ひばりが丘駅と仮称まであったとか)中島航空金属の引込み線の土地を使って東久留米駅へ接続する路線だったとか。
当時その引込み線の土地を管理していた西武鉄道に遮られ、計画はおじゃんになったとか…。
都市伝説ですかね。
もし実現していたら渋谷まで一本だったのに…って今はあるんですよね、ひばりから渋谷行きって。

投稿: シュウ | 2012年2月17日 (金) 20:22

シュウさん。
やっぱり補給厰ですか。
この延伸の話題が載っている資料なんかを読むと必ず書いてありますよね。
返ってきたら延伸するって。
ひばりケ丘が将来急行停車駅でなくなるだろう…って話は初めて聞きました!
確かにそう思ってもしょうがないような気はしますね。
急行が止まる様になったのはやっぱりひばりケ丘団地の力なんでしょうね。
当時は世界最大級の団地って全国的に宣伝してたらしいですし、こんな広告塔を放っておけない!…と西武側も思ったのでしょう。
わかんないけど。
井の頭線が東久留米ですか?
この話も初めて聞きました〜。
そうなれば東京の地図も変わったでしょうね。
是政に行ってる多摩川線が田無方向に伸びる計画があったのは聞いたことがあるんですけどね。
でも、確かにいまだにひばりに行って「渋谷ゆき」の電車を見るとけっこうな違和感を覚えますよ、ええ。

投稿: くうみん@管理人 | 2012年2月18日 (土) 11:10

【シュウさんからコメントをいただきましたが、ご本人のご希望もあり管理人とのヒミツのコメントにさせていただきました。】

シュウさん。
ありがとうございます!
まあ、ちょっとぐらいは歯ごたえがあった方が…とは思うのですがね。
限度がありますが。
でも、ホントにお心遣いに感謝します!
シュウさんのその優しさに支えられて男くうみんは今日も頑張ります!

投稿: くうみん@管理人 | 2012年2月20日 (月) 00:27

50才にならんとするオバサンです。
私が小さい頃は、各駅に停車してました。
電車の床は木製で、油が塗ってあったので
走ると滑るし、転ぶと服が黒くなりました。
真ん中に棒が立ってましたね。

十歳くらいの頃に急行やら準急やらができて、びっくりしました。

池袋で国鉄に乗り換えるのは、すごく遠かった。貨物車とかメンテナンス車両とかお休み中の車両群の上をたくさん歩いた記憶があります。

投稿: pen | 2012年3月19日 (月) 23:24

penさん。
ようこそいらっしゃいました!
貴重なコメントをありがとうございます!
私は喜多見に住んでいたのですが、昔は通勤急行とか快速準急なんてよくわかんない種別があったそうなのでその名残かもしれませんね。
また遊びにきてくださいね。

投稿: くうみん@管理人 | 2012年3月20日 (火) 15:35

くうみんさん。
penさん。
床が板張り…!なつかしいですね。
私も憶えてます。
昭和50年代初頭頃まで西武池袋線には赤い電車が走っていて、
床は板張りだわ扇風機はついてるわツードアだわ…。
う~ん、ノスタルジー。

くうみんさん。
おじい様のお話すごいですね。
中島関連の記事楽しみにしております。
サイボクは随分行ってないですな。
温泉の湯が20L100円は激安ですね。
近いうちに行かなければと思います。

投稿: シュウ | 2012年3月21日 (水) 18:22

シュウさん。
懐かしいですね!
赤い西武線。
私も板張りの床の電車といえばあの赤電を思い出します。
ドアも片扉(扉が真ん中から開くんじゃなくて1枚のタイプ)でしたね。
小田急線も私が子どものころはまだ片扉のタイプが多かった気がしますね。
殿様のところにはまだ行けてないのですが、面白い話を聞いてきたいと思います。
サイボクはいいですよね。
でも温泉に入る時にはほどほどに。

投稿: くうみん@管理人 | 2012年3月22日 (木) 12:35

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