子どもと落語。
何ヵ月にいっぺんか、子どもたちにお話を聞かせるってことをやっています。
私も話をするのはキライじゃないんでいろいろ仕込んでいきます。
いろんなお話があるんですが、落語の好きな人間としては子どもたちに落語の噺を聞かせてやろうかと試行錯誤しています。
林家たい平師匠がよく子どもたちに落語を聞かせてるって聞きましたんで、参考にしようとYoutubeで見てみたんですがこれが実にいい。
たい平師匠が大変に楽しそうなんです。
そこのコメントにもありましたが子どもたちが笑うのがなんとも楽しくて仕方がない、そんな人柄が出ている話なんです。
その時の演目は「転失気」だったんですが、転失気ってのはオナラのことなんですね。
子どもには鉄板です。
お寺の和尚さんがおなかを悪くして、お医者さんに「転失気はありますかな」と聞かれたんだけど意味がわからない和尚さん。
知ったかぶりで「ありません」と答えたはいいが気になって仕方がない。
今さら聞くに聞けないので小僧さんに隣の花屋で借りてこいと回らせますが、花屋もわからないので床の間にあったけどお土産に持たせたとかお味噌汁に入れちゃったとかテキトーなことを言って小僧さんを帰します。
和尚さんは今度はお医者さんに薬をもらうついでにお前がわからないから教えてくれと言って聞いてこい、私はそれがなんだかは知っているが、自分で聞いてくることに意味がある、なんだか分かったら使い方を教えるから、と小僧さんを使いに出します。
お医者さんに転失気の意味を教えてもらった小僧さん、花屋も和尚さんも転失気を知らないことに気づいて、和尚さんに転失気の意味を「杯のことだった」とデタラメに教えます。
翌日往診に来たお医者さんに和尚さんが転失気の自慢を始めたモンだから…。
とゆうのが「転失気」の内容です。
んで、これもたい平師匠がおっしゃってたんですが、噺の中で長屋か何かに誰かが訪ねてきた場面で、後ろの方に向かって「こんちは!」と元気に言うと、子どもたちがホントに誰かが訪ねてきたと思って全員が後ろを振り向く、と。
私もやってみました。
たい平師匠のおっしゃるとおりで全員とは言いませんがほとんどの子が後ろを振り向きました。
やったね、と。
子どもを相手に落語をやると、一番難しいのはサゲ、つまりオチです。
大人なら「ああ、これがサゲなんだな」とお辞儀をすれば噺もこれでおしまいってわかるんで拍手でも来るんですが、子どもはそうは行かない。
これでおしまい、ってわかんないモンだからポカーンとしてるか「それで?それで?」って顔してるかどちらかです。
なので、噺の終わりには「~というお話でした」って言わないと終わりがわかんないんです。
これは人情噺なんかでは噺家さんたちも使うんですがね。
普通はサゲておしまいなんです。
もっとウマければ子どもにでもサゲがわかるんでしょうけど素人ですからねぇ。
ちなみに転失気の場合、昔からの話だと「ぶーぶーが出ます」ってのがサゲ。
ぶーぶーとは酒を飲んでクダを巻く様子のこと。
糸巻きをする時にぶーぶーと音がするのと、酔っぱらいの様子、そして糸を管に巻くという素晴らしいサゲなんですが、今の世の中だとぶーぶーなんて大人でもわかりません。
ちなみにたい平師匠はサゲを「屁とも思いません」とわかりやすくしてくれています。
そんなこんなで、次に使えるものはないかなぁ、と落語を聞き続ける毎日です。
そんなのが愉しいですけどね。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント